テストに出やすい?あれもこれも多すぎる。天皇の政治改革
こんにちは!ユウです。
今回は
について紹介します。
「天皇がでてくるけど
多すぎてわからん」
「時代ごとに似てるのも
あるからややこしい」
なんて思ったことありませんか?
この記事を読まないと
授業中は聞いているけど
復習しようと思い
忘れてしまう
と思い込み
そこから授業を
聞かないで
スマホいじったり
寝たりして
小テストになって
その時だけ集中してやる
定期考査が近くなったら
友達にノートを借りて
書く量が多くて
テスト勉強やらずに終わる
そのせいで
定期考査の点数も悪く
友達から
「模試どうやった」
と聞かれて
自分は
「全くできなかった」
と言って
見せることもできない
友達からは
「まだ試験範囲狭いのに
そんなのも取れないの」
とアホ扱いされる
そのことが原因で
学校に行くのも嫌になり
勉強に対しても
そのままだらだら
学校生活を送り
気づけば受験当日
当然問題見ても
全くわからずに
鉛筆転がして
解答する
答え合わせしても
正解しているのは
たったの7問
浪人することになる
合格した人たちは
可愛い彼女を作ったり
大学の友達と
バーベキューしたりして
物凄く充実した
大学生活を送っている
のを見て
とめっちゃ羨ましく感じる
早くこの生活
何ヶ月続けるのかな
と時間が過ぎるのを
待つだけ
なんて生活を送ることに
この記事を読めば
授業聞いて
家で復習するときも
授業を聞くということに
のぞむことができ
授業ではしっかりと
ノートを取って
先生の発言まで
小テストでも
念入りに取り組み
余裕で満点近い
点数が取れて
定期考査が近くなったら
「友達からノート見せて」
と言われるようになり
定期考査でも
クラスの順位が上から
数えた方が早く
模試でも
高得点を取って
友達から
「模試どうやった」
と聞かれて
自分は
「今回は偏差値70
のらなかった」
と答えることができて
高い志で
勉強することができ
友達からは
「どうしたら
その点数取れるの?」
と聞かれるようになり
受験当日まで
爪があまいところ
を重点的にやれて
本番の試験で
高い点数をとって
そこの大学で
可愛い彼女やサークル
バイトなどで
思い出づくりができて
最高のキャンパスライフ
を送ることができて
「あの時諦めていたら
楽しい生活できてない」
と心の底で思うことができ
内容に入っていくと
今回はこの2人に
注目して話を進めます。
まず桓武天皇から話します。
勘解由使を設けた。
勘解由使というのは
令外官です。
令外官というのは
令に定められていない
新しい官職。
兵士の質を上げるために
軍団と兵士を廃止して
少数精鋭の健児を採用。
これらの政策は
十分な成果を
あげられなかった。
続いて
について見ていくと
桓武天皇の次は
平城天皇という人で
この人が都を平城京に
再遷都しようとした。
嵯峨天皇は
それを阻止すべく対立し
ニ所朝廷になった
嵯峨天皇は
迅速に兵を展開し
見事に勝利をおさめる
北家藤原冬嗣が味方になる
敗北した平城天皇側
は下のようになる
平城天皇→出家
寵愛を受けた
藤原薬子→自殺
薬子の兄仲成→射殺
この出来事を
または薬子の変という
対立した時に
に伝えるための
蔵人頭が設置された。
秘書艦長として
藤原冬嗣が任命された。
平安京内の警察にあたる
検非違使も設けた。
これはのちに裁判も
行うようになる
格・・律令の規定を補足、修正
式・・施行細足
格と式とに分類、編集し
弘仁格式が編纂される
の3つを合わせて
三代格式という。
まとめると
・勘解由使の設置
・健児の採用
・蔵人頭の設置
・検非違使を設ける
・弘仁格式
このように
理解してみてください
自分の言葉でまとめると
アウトプットになります。
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